「離職率の低下」の事例一覧
手放した「外的コントロール」得られたさらなる発展と未来への確信
1960年大阪市生まれ。大学の歯学部を卒業後勤務医を経験し、1990年に初代で新大阪に歯科医院を開業。開業後も高度な学術、臨床をアメリカで学び続け、患者さんの喜び、満足を一番に考え上質な診療を目指した結果、現在2つの医療法人、外来歯科4医院、訪問歯科医院4医院を展開し、全スタッフ130名にて診療を行っている。クリニックの最前線で治療を行い、週末は全国で歯科関係者を対象に研修や講演を行っている。
2億の借金をバネに組織を3倍に拡大 最年少TOT、千年企業への挑戦
1985年、京都府生まれ。金融サービスのプロフェッショナルとして成功の一つの指標であるMDRT(Million Dollar Round Table)の最上位メンバーであり、MDRTの6倍の基準を誇るTOT(Top of The Table)に、2010年度に世界最年少で入会を果たす。その後も幾度と入会を続けており、2014年からR&C株式会社の代表となる。同社は、現在120名以上の社員が在籍しており、保険の価値を1人でも多くの方に伝え、日本で一番多くのお客様の“約束”を守る保険代理店になることをビジョンに、毎年着実な成長を積み続けている。
80%だった離職率を一桁に変えた、『理念経営』の力
代表の渡邊氏が『頂点への道』講座スタンダードコースを受講したのは、今から約3年前。当時、離職率80%を超えていた組織が、メンバー主体でクオリティ・カンパニーを目指すまでの変遷を伺った。
経営者としての心構えが変わり「離職ゼロ」と「業績のV字回復」を実現
佐賀県唐津市の地域ビルダーである孝和建設を経営。新人時代、大手広告代理店で圧倒的な業績をたたき出したあと、20代前半で帰郷し、父の会社を引き継いで代表に就任する。会社規模を5年で10倍にするも、従業員からの訴訟や他社の引き抜きに苦しみ、大量の離職と経営の危機を招いた。しかし、2015年の『頂点への道』講座初受講をきっかけに自らのマインドを変え、逆境から復活。3年でグループ連結1億の経常利益を記録し、全国各地から入社希望者が集まるほどの人気企業へと成長させた。家庭では三児の父。
社員を信じ、寄り添うマネジメントが生んだ離職ゼロ・過去最高業績の達成
東京都荻窪にある「髪のお医者さん amani en(アマニエン)」の代表。2013年に創業するも、職場での人間関係が良好でないことが原因で、スタッフの離職は80%にのぼり、業績も振るわなかった。そんなときに『頂点への道』講座と出会い、自分自身の考え方や行動を自己評価。社員の「求めているもの」に目を向け、一人ひとりとの関わり方を大きく変える。以来、社員との間に信頼関係が築かれ、最高業績を幾度も更新。社員の離職率も0%になる。2019年には杉並区の「子育て優良事業者表彰」で最優秀賞を受賞する。2019年12月にベーシックプロスピーカー試験合格。
「全ての子どもたちに健康を」 売上280%を達成した目的の底力
鹿児島大学病院小児歯科に入局し、約10年間教育・研究・診療に携わる。その後、地方都市の小児医療に課題を感じ、2005年に鹿児島県霧島市に、地域で唯一の小児歯科専門医院として開業する。小児歯科医療・障害者歯科医療の二次医療機関として役割を果たしており、2014年には宮崎県都城市にも小児矯正歯科医院を開設する。理念経営を徹底した組織を実現しており、2院で2.8億円の売上を達成している。業界全体への貢献のために、自院の小児歯科予防管理プログラムを公開しており、発売されたDVDとともに好評を得ている。
「競争」から「共創」へ 離職率53%から0%への変革の物語
大学卒業後に税理士事務所に入社。経営者支援に携わり、経験を積んだのちに、2007年に安中社会保険労務士事務所を開設。2015年に法人化し、代表社員に就任。約300社の顧問先を持ち、事前対応のコンサルティングサービスに強みがある。労使紛争から人事制度設計まで幅広く担っており、新しいワークスタイルの選択肢である「週4正社員制度」の導入などを得意とする。全国各地での講演活動にも取り組んでおり、注目を浴びている。
自社の達成から社会発展を見据え、 業界に革命をもたらす存在に
1961年愛知県生まれ。大学卒業後、外資系損害保険会社に入社。その後、外資系生命保険会社に転職し、17年在籍。その間、25歳で最年少ユニットマネージャー、29歳で最年少エージェンシーマネージャーとなる。26歳でAIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)ワールドワイドコンテストに入賞。2000年、39歳のときに独立し、株式会社ネオライフプランニングを設立。総代理店、来店型保険ショップ、住宅ローンショップ、資産運用、不動産と事業を展開し、金融ワンストップサービスを実現している。
苦手だったマネジメントが強みに部下とともに手にした代理店日本一の称号
KDDIの販売代理店にて、店舗のマネジメントを担う。入社最短で店長に昇格し、実績を出し続けマネジャーに昇格をしたものの、マネジメントに苦戦し、部下の退職を経験。上司からの薦めで、『頂点への道』講座を受講し、苦手だった育成が、自身の強みに変わる。2020年にはグランプリ受賞までに成長。2022年8月にはベーシックプロスピーカーにも合格している。
「患者様の笑顔をつくる総合医療サービスを目指す」たゆまぬ自己変革で過去最高業績を達成
東京歯科大学卒業後、1972年長野県塩尻市に鴨居歯科医院を開業。2022年に50周年を迎えた同医院は、市外からも通われる患者様が多く、業界トップ0.5%といわれる医療収入4.7億円を達成。東京医科歯科大学元非常勤講師・長野県インプラント研究会元会長でもある。