事例一覧
手放した「外的コントロール」得られたさらなる発展と未来への確信

1960年大阪市生まれ。大学の歯学部を卒業後勤務医を経験し、1990年に初代で新大阪に歯科医院を開業。開業後も高度な学術、臨床をアメリカで学び続け、患者さんの喜び、満足を一番に考え上質な診療を目指した結果、現在2つの医療法人、外来歯科4医院、訪問歯科医院4医院を展開し、全スタッフ130名にて診療を行っている。クリニックの最前線で治療を行い、週末は全国で歯科関係者を対象に研修や講演を行っている。
「苦難の全てを成功への原動力に」逆境から手にした指導者の生き方

1976年生まれ。若いころから行動力に長け、20代前半は日本初の男性仲居として勤務。その思いやりあふれる接客で業界から注目を集める。その後中古車販売事業にて独立。2012年に現在の遺品整理事業を起こす。遺品整理・特殊清掃という仕事で目にする、孤立死(孤独死)や自殺の現実に衝撃を受け、現代社会の希薄な人間関係に問題意識を持つようになる。現在は遺品整理の本業の傍らで、自身の経験があるからこそ伝えられる「命の価値」をテーマとした講演で、孤立死や自殺のない「明るい豊かな社会」の実現を目指して活動をしている。
業界の常識を打ち破り、社員とともに果たした売上550%成長

27歳で株式会社を設立。整骨鍼灸院・サロン・スクールを運営。労働時間の長い整骨院業界、女性の長期雇用で悩み、自身の出産時期に会社が倒産しかけたが、アチーブメントと出会い、女性のキャリアを支援する会社にすることを決意。理念を社員と共有し、チームビルディングに力をそそぎだした結果、2年半で業績は3倍、利益は5倍になる。育児スタッフは当時0だったが、現在の育児スタッフは1割となり、育児と仕事を両立し、お互い支えあえる組織へとビジョンを実現中。
大赤字からの逆転劇、 理念経営がもたらした利益率5倍の成長

1969年大阪府生まれ。1993年の大学卒業後、中国吉林省への2年弱の留学を経て新聞記者となる。1999年に父から鋼材加工を行う家業を継ぎ、3代目経営者として試行錯誤を繰り返しながら経営に務める。自社の強みは、経験豊富な職人による高品質かつ丁寧なつくりの商品と、社内のチームワークを駆使して実現する短納期加工にある。人を大切にする経営を実践し続けた結果として、社内の人間関係や社員の仕事への取り組み方が劇的に変化してきた。数値面では、社員数はほぼ変わらずに就任当時の5倍の利益、4倍の自己資本(純資産)を達成している。
「社員の自己実現が最優先」貫いた信念がもたらした売上700%成長

柔道整復師の国家資格取得後、整形外科・整骨院で勤務しながら、全国にある専門学校5校の講師を勤める。3000時間を越える授業を担当してきており、2006年より国体陸上代表のトレーナーを勤め、関わったスポーツチーム数は20を越える。 2009年に岩手県盛岡市に美波接骨院を開業。現在は4院を展開し、のべ10万人以上の患者が利用している。高い施術技術が評判を呼び、リピーター率は9割以上を誇っている。一般財団法人日本プロスピーカー協会認定ベーシックプロスピーカーであり、講演活動を通した社会変革にも力を注いでいる。