売上200億円を目前に、 組織の成長が横ばい
私の人生を一言で表すと、「挫折と挑戦の連続」です。19歳で不動産営業としてキャリアをスタート。独立して4年、28歳のときに当時史上最年少で会社を上場させました。しかし、リーマンショックの影響もあり、会社の業績は悪化。30歳で400億の負債を抱え、民事再生の手続きを申請しました。「このまま負けたままではいられない」。再起を誓い、2010年に今の会社を創業しました。
当初は何をするにも批判だらけで地獄の日々でしたが、徐々に我々の愚直で直向きな姿勢を認めてくださる方々も出てきて、夢中でやっていたらいつしか5年程で100億円を超えていました。
しかし、以前の会社を超えるリソースと人材は揃って来ていたにも関わらず、なかなか売上200億円の壁を突破できませんでした。組織の成長にあわせてグループ会社制度やカンパニー制度を導入、利益は出していたものの、本質的な策だったのかどこか納得できない自分もいました。打開策を求めて、慕っていた先輩経営者であり創業わずか20年で美容医療業界内の売上高1位・売上1000億円超えを実現したSBCメディカルグループ代表相川佳之先生に相談。「僕が50億のときから学んでいる研修がある」と推薦をもらい、相川先生が言うのだからと受講を決断しました。
間違っていなかった、原理原則 に照らして吹っ切れた迷い
受講を通して、これまでの経営を振り返り答え合わせをすることができました。初受講をした2019年当時、経営者としては17年目。これまで多くの書籍やセミナーで勉強をし、たくさんの失敗も経験しましたが、失敗から学び、2度目の経営も150億手前。自分のなかに「こうしたらうまくいく」という自分なりの哲学や型がありました。それでも試行錯誤の最中で、迷いもありました。しかし、講座の中で講師の青木社長が語る数々の言葉は、まさに私が大切にしてきたことばかり。「そうだ、自分が目指していた道はこれで正しいんだ」と背中を押された気持ちになりました。3日間まとまった時間を取ることは決して簡単ではありませんが、膨大な量のインプットが当たり前の経営者にとって、一度立ち止まって集中して思考する機会は価値があります。この時間ほど使命や未来を真剣に考え、経営者として自分と向き合う場はないと思います。
今は亡き父親への誇り、 立ち返った挑戦への原動力
何度か学びを重ねるなかで「身近な人から大切にする」というインサイドアウトの考え方が特に腑に落ちました。青木社長は仕事がどれだけ忙しくても家族との時間を大事にするという話を聞き、1つ取り組んだことがあります。親戚を集めた食事会です。そこで叔父から聞いた父親の話が、転換点になりました。
私は20代で父親を亡くしています。また、13歳で母を亡くし、14歳のときには父の会社が倒産。高校生ではグレてヤンチャをしていました。あるとき父と進路の話で大喧嘩。父は刃物を持ってきて「お前を殺して俺も死ぬ」と言い、私を刺しました。このままではダメだと思い家を出て、気付くと父も蒸発をしていました。必死に勉強をして宅建を取得し就職、その後にトップセールス、独立、当時最年少上場を果たし、2か月後に父は亡くなりました。探偵を使って父を探し出しはしましたが、正直言うと父にあまり良い感情は持っていませんでした。
叔父が食事会の席で話してくれたのは、父が墓場まで持っていってほしいと言っていた父自身のエピソードでした。昭和20年に父は17歳で海軍に入隊、フィリピン海域で作戦中に乗船していた駆逐艦が米潜水艦に撃沈され、命からがら故郷の広島へと復員しました。その戦後間もないころ、原爆で全てを失った広島の街に秩序は無いに等しい状況だったそうです。今の私達には想像を絶する事だったと思います。父はカオスとなっている広島の街を憂い、復員兵や仲間と共に自警団を結成し治安を守る決意をしたそうです。そんなあるとき、アメリカ兵が知り合いの女性を暴行。アメリカ兵に尻込みする仲間を他所に、なんと父は、日本刀を持って切り込み、銃で撃たれながらも女性を守ったそうです。「宏之、お前はきっと今まで親父をダサいと思っていただろう。でもそれは間違いだ。お前の親父は本当に格好良かった。誇りを持て」そして、「この話も、綺麗事じゃないから、現代に生きる宏之には聞かせたくなかったそうだ」そう言う叔父の話に、誇れる勇敢な父の血を継いでいる、だから今の自分がいるのだと思えるようになりました。今、私が頑張る理由は、日本社会に対する問題意識はもちろん、社員の幸せのために、失敗したときに応援してくれた方々のために、とたくさんあります。そこに両親への感謝が加わったと思います。
Nasdaq上場を達成! その先に描く未来
2023年4月、Nasdaq上場という新しいステージに踏み出しました。かつて一度上場し、失敗した身。「なぜ地獄だとわかっていながら、もう一度上場するのか?」と大勢から聞かれます。ただ、パートナーである湯藤の一言で、スイッチが入りました。「民事再生した日に上場したら、新しいストーリーがはじまりますね」と。そこからは激動の日々でした。
売上は昨期ついに200億円の壁を突破し、220億円で着地しました。Nasdaq上場を達成した次の舞台は世界です。黎明期にある不動産クラウドファンディングというマーケットで、世界一をとりにいきます。
なぜ目指すのか。受講を通して、そしてさまざまなステークホルダー、特にアメリカの投資家とのやり取りを通して「世界にどんなインパクトを与えたいのか」という問いと向き合ってきました。私たちのミッションは、“人生100年時代をテクノロジーと資産運用で豊かに”することです。
経営者はたとえ年商1000億円を達成したとしても、学び続けるべき存在。世界一を目指し、これからも学び続けていきます。
今回、Nasdaq上場までの軌跡を語る講演会が開催されます!