浮き彫りになるトップダウンの限界「指示命令」に疲弊する日々
私は人々の健康を守る医師として、1946年にWHOが定義した「ウェルビーイング※」の実現を支援したい。その一心で技術を磨き、地域医療の発展に邁進してきました。「医師である私が正しく判断し、指示を出さなければ、人の命に関わる」。その責任感と信念を胸に、開業から12年で12拠点、200名規模へ拡大することができました。
外から見れば、順風満帆な地域医療を支えるドクター。しかしその実態は理想とはかけ離れていました。「なんで俺の言っていることをやらねえんだ!」組織が大きくなるにつれ、私の目は届かなくなり、思い通りに動かないスタッフが増えていったのです。苛立ちが抑えきれず、指示は怒号に変わりました。人間関係は最悪、気づけば離職率は25.9%に悪化していました。ある事業所ではスタッフ全員が一斉退職し、開設からわずか1年で閉鎖。身を切るような悔しさを味わいました。
イライラの矛先は、愛する家族にも向きました。ドライブ中に騒ぐ子どもたちに「うるさい、静かにしろ!」と怒鳴り散らす、まさに典型的なモラハラ夫。職場でも家庭でも、誰にも相談できない。「経営者とは孤独なんだ」。そう自分に言い聞かせていました。出口の見えない暗闇のなかで『頂点への道』講座に出会ったのです。
※ウェルビーイング=肉体的・精神的・社会的に満たされた状態
「あなたはあなたのままで素晴らしい」過去と向き合って見えた本当の理想
「当たり前のことを言ってるだけじゃないか」。初受講では正直、目新しい情報などないように思えました。しかし最終日、同じテーブルにいた受講生からの言葉に、私は大きく動かされたのです。「町田先生、世のため人のために俺は成功しなければならないって言ってるけど、自分が幸せになるっていうのが僕は抜けてると思うんだ」。雷に打たれたような衝撃でした。
私は幼少期から医師国家資格に合格するまでの20数年間、常に誰かと競争し勝つために勉強する人生を送ってきました。私の親は躾に厳格で、口答えをすれば靴ベラで叩かれる。テストで90点をとれば「なぜ10点とれなかったのか」と叱られる。医師として成功してもなお、「成果を出さなければ価値がない」「失敗してはいけない」という価値観を持ち、周りにも強要していたのです。
「私にとっての幸せとは何だろう」。学びを続け、向き合ったのは母との関係でした。会話を重ねるなかで母の厳しさは自分を否定するものではなく、愛だと気づいたのです。はじめて母に感謝を伝えたとき、肩の荷がすっと下りるのを感じました。そんな経験を経て、再受講を続けるなかで、『選択理論心理学』の学びが少しずつ腑に落ちていきました。「人は皆、異なる上質世界(願望)を持っている」。これまではスタッフに自分の願望を一方的に押し付けていました。でも、ありのままの自分を受け入れられるようになったとき、はじめて他人の上質世界を尊重できるようになったのです。
私は覚悟を決め、年に一度の全社懇親会で壇上に立ちました。「みんなには幸せになって欲しい。その環境をつくるのが私の役割なのに、今まで怒鳴ったりして申し訳なかった。ついてきてくれてありがとう。これからも力を貸してください」。深々と頭を下げました。
「背中」で語るリーダーが実現した離職率6分の1と業界3.5倍の成果
私はスタッフとの時間を多く取るようになり、関わり方を「信じる、任せる、待つ」の3つに変えました。「自分が正しい」というエゴと「失敗されたくない」という恐れを手放し、「スタッフは自ら学び、変わる力を持っている」と信じ抜くこと。すると、現場には驚くべき変化が生まれました。指示待ちだったスタッフが自ら創意工夫を凝らし、私が口を出さなくても工程通りに仕事が進むようになったのです。
私にできることは他にないのか。考えた末、トップである自分自身が学び、変わり続ける「背中」を見せようと決めました。企画したのは、週2回、早朝6時半からの社内勉強会です。「たった一人でも続ける」と腹を括り、1年以上継続しました。「同じことを何度も言わせるな」と社員に関わっていた私が勉強会を続けられたのは、明確な目的の力があったからです。
最初はそんな私を遠巻きに見るスタッフばかりでしたが、その熱は確実に組織へ伝播していきました。「あの頑固だった理事長が変わったのだから」と興味を持ち、勉強会に参加したり、自らの意思で『頂点への道』講座を受講する社員が次々と現れたのです。その数は社内外合わせて約30名。『i︲シリーズ』も導入し、スタッフへ目的を共有し続けました。
結果、組織の空気は一変。離職率は25.9%から4%へ激減し、業界平均の半分以下へ。お互いを尊重し合う風土は生産性を飛躍的に高め、経常利益率は業界平均の3.5倍を達成しました。私は心に誓ったのです。「大切な人たちのウェルビーイング実現を支援する生き方を生涯貫く」と。いつしか「経営者は孤独だ」と嘆いていた私は消え、周りには同じ理想を目指す同志たちがいました。
自己変革から社会変革へ ウェルビーイングに溢れる社会を目指して
私が目指すのは自院の利益を超えた「ウェルビーイングの追求」です。医師会、商工会、行政を巻き込み、地域住民全員が幸せになる「クオリティ・メディカル・コミュニティ」を創造すること。それが私の使命です。
かつては「懐が温かくならない」と敬遠していた地域活動にも、今では大切な仲間たちの笑顔のため、率先して参加しています。組織変革の起点は、トップが「正しさの鎧」を脱ぎ、ありのままの自分と周囲を認めること。人を変えたいというコントロールを手放し、自ら変われると信じることです。
9年後には、地元の朝霞市の医師会長となり、朝霞市から日本の医療発展に貢献してまいります。まだまだ道半ば。理想に向かう通過点です。これからも愛とウェルビーイングの輪を日本中に広げてまいります。












