人間関係への危機感から踏み出した一歩
父の会社には祖父の時代から続く借金があり、苦労しながら切り盛りする姿を見てきました。取り立てが来ては居留守を使う日々。そして私は、次第に社会に反発するようになりました。その結果、高校を2年で退学。居場所のない私は父の会社で作業員として働き始めました。
26歳のとき、経営が益々悪化し、緊急で開かれた家族会議。そこで私は経営を引き継ぐことになりました。経営の知識はほぼなく、手探りで会社を動かす日々。しかし「借金を返したい」という思いだけは人一倍強く、手段を選ばず猛進した結果、家族の支えもあり、約2億あった借金を7年近くで完済。会社は急激に潤い始めました。そして私は完済した喜びと、「自分がやった」という思いから、自分が正しいと思うことを社員に強要するようになりました。
成功者気分を味わうなか、大きな損失に気づいたのは、頑張って働いていた社員が離職したときでした。交渉すらも許さない、無言の離職。見渡すと人間関係はボロボロで、優秀な社員の離職が続き、家庭では子どもに避けられ、妻は常に離婚届を持ち歩くほどでした。借金の完済、利益の向上を目的に猛進してきた私は、「一体何のために頑張ってきたのか」と、大きな虚無感に襲われたのです。そんなとき、知人に紹介されたのがアチーブメントでした。私はこの状況を脱するため、藁にもすがる思いで受講を決めました。
思いを土台に必死の習慣変革
初めに衝撃を受けたのは、「成功は技術」という青木社長の言葉でした。技術を身につけることで誰でも成功し、幸せに生きられるというのです。私は半信半疑ながら、「技術だとしたら自分に足りないものは何か」という視点で受講していくと、明確に2つ見つかりました。それは「豊かな人間関係を築く技術」と「人生の目的を見出す技術」でした。
講座で学んだ成功の定義に含まれるのは、物心両面の豊かさ。その頃の私は、物質的には豊かだったものの、人間関係は悲惨でした。
そしてもう一つは人生の目的。講座で学んだセルフカウンセリングを行い、「本当はどんな経営をしたいのか」と自分に何度も問いかけました。ところがその度に答えを書くものの、納得のいくものにはなかなか到達しません。しかし、目的の喪失をきっかけに受講を決めた私は、「何としてでも納得できる目的を探し出すんだ」と3日間の講座や宿題を通して自分と徹底的に向き合い、初めて「誠実で人を幸せにできる経営者でありたい」と気づくことができたのです。また、そのためにも家族や社員と良い関係を築きたいと心の底から思い、選択理論をもとに人と接することを決意しました。
その日から、人間関係を破壊する外的コントロールを使わないことを徹底し、机には常に選択理論の本を広げ、意識を向けながら実践を重ねました。そんな中、私が一人の社員に「怒らないから、今まで私がどんな人間だったか教えてほしい」と頼んだところ、返ってきたのは「最低でした」の一言。理想とのギャップに改めてショックを受け、変わる決意を固めました。しかし、習慣を変えるのは難しいもの。業界的にも「批判する」「責める」などの外的コントロールに慣れ親しみ、「お前は使えない」が口癖だった私は、「今まで通りやればもっと成果が上がるのに…」と目の前の成果に目がくらむこともありました。その度に「何がなんでも自分が変わるんだ」と必死の思いで自分と闘い、一つひとつ乗り越えてきましたが、道のりは苦難の連続でした。
目をそらし続けた自己概念との対峙
そんな矢先に次の講座を受講しました。私が解決すべきは人間関係だと思っていたのですが、真因はもっと深いところにあると、その講座で気づきました。それは、私自身の自己概念の低さでした。私は2億近くの借金を返済し、「自分は自信がある」「自分はできる」と信じていたつもりでしたが、実際は不安でいっぱいでした。そんな自分を直視できず、ことあるごとに見栄を張っていたのです。ところが体験型ワークを通して「一歩踏みだせない自分」を目の当たりにし、自分の自己概念の低さを認め、初めてその原因を真剣に考えました。そこで、高校中退という「学歴コンプレックス」に原因があると気づいたのです。
経営者という立場上、学歴の高い方と接する機会の多かった私は、たびたび引け目を感じ、「自分はできる男だ」と証明したい、強い気持ちがありました。そのため、外的コントロールを使ってでも短期的な成果をだそうと必死だったのです。自分の弱さの根本的な原因を認めた私は、大学入学資格検定への挑戦を決意。努力の末合格し、不足感の源を解消することができたのです。成果と人間関係の両立を心から求め、素直に行動するよう、徐々に変わっていきました。
一丸となり、小さな町から全国に
次第に、「なぜ社長は変わったのか」「なぜ怒らないのか」と社員が私の変化に興味を持ち始めました。そして、社員もアチーブメントに通うようになったのです。幹部が受講し、周りの社員も受講し、今では組織向けの研修を導入したことで約3分の2の社員が自分と同じ学びに触れています。そのため、社内に共通言語が浸透し、「皆で外的コントロールをなくそう」という動きもできました。
変化は数値にも表れています。業界上、中途社員が多く、以前は高確率で離職していましたが、選択理論を学び一日一時間以上私が個別に話し合うことで、社員の欲求を把握し、満たせるようになったのです。その結果、学び始めた当初は想像もできなかった「離職0」を約4年間継続しています。さらには成果も、初受講から毎年最高売上・最高収益を更新し続け、平成24年度から27年度までの3年間で、売上は176%、経常利益は316%になりました。そして私自身、これらの成果から、2017年にはベーシックプロスピーカー試験に合格できました。
今後の目標は、「2025年に熊本県で売上高トップ20位以内の建設会社になる」ことです。社員が主体的にこの目標を目指しているので、達成の確信があります。なぜ社員が主体的に取り組むようになったのかを振り返ると、選択理論に基づく組織風土に加え、経営者の自分がプロスピーカーになり器を拡げてきたからだと思います。まだまだ道半ばですが、この目標を達成し、熊本の建設業界に「成果と人間関係を両立する『成功』は技術である」と示し、地域から社会に貢献していきます。