なぜ経営するのか―
経営者は自分との対話が必要だ
- 「縁ある人を幸せにする」企業が勝ち残る
- そもそも経営とは何か、経営者の仕事とは何なのか
- 心理学に基づいた縁ある人を幸せにする経営とは
アチーブメント株式会社は、人材教育コンサルティング企業として1987年に5名の従業員と、500万の資本金でその歩みをスタートしました。これまでに、5000社以上の組織変革の支援をしてまいりましたが、その中核を担ってきたのが、従業員の7割以上を占める新卒入社の社員です。
「経営者や指導者の方々をお客様とする事業に、ビジネス経験のない新卒社員は無理だ」。
そう言われ続けてまいりましたが、理念浸透の質を高めるためにも、一から価値観教育に取り組める新卒採用に2003年から力を入れ、質の高い人材で組織を固めることに何よりこだわってまいりました。
おかげさまで、組織として成長し続け、現在では200名以上の従業員が在籍し、56億の売上を突破。実質無借金経営で、純資産は300倍に成長しすることができています。
本書籍では、そのような組織をゼロから創り上げてきた代表の青木が、創業からの取り組みと「理念経営」を基軸とした実学の経営論をお伝えいたします。
堺にある手ぬぐいを中心に製造販売会社を経営しています。
もともとは広告代理店で営業をしていました。なぜ手ぬぐいの仕事についたかというと、祖父から誘われたからです。もともと手ぬぐいの製造は、伝統芸能のため、世襲制で長男が継ぐことに決まっていました。しかし、長男が病気になったため、父が引き継ぐことになったのです。その際に、私も入社することになりました。27歳でした。
入社したときは、真赤っかの大赤字の会社でした。父は長男ではなかったため、2つ下の従弟が後を継ぐということが決まっており、いわば中継ぎとしての役割でした。父とともに会社を経営することになったものの、仲の良かった親戚は、口をきいてくれません。母からも、「やめとき、成果出ないと大変な目にあうで」と言われました。
業績を出す以外、生きる道はないと分かっていたので、不退転の想いで働きました。それは、父を勝たせたい、赤字の会社を父の代で終わらせたくないという思いからでした。どうにか、6年目で黒字にすることができました。表参道にお店を出すこともできました。しかし、人間、力を発揮するとだんだん天狗になってきます。ますます親戚と仲が悪くなって、会社の後を継いだ従弟にとうとう解雇されました。
路頭に迷いながら、独立するか他の会社に勤めるかを考え、独立の道を選びました。できるという自信があるだけで、人脈もお金もないところからスタートでした。
案の定、独立から3年目に数字が落ちはじめました。 そんな時に外的コントロールを使う友人が変わっていくのを見て、私も学ぶことを決めました。
はじめは、僕の選択の正しさを証明しようと思っていました。当時の私は、「お前は間違っている」と言って間違いを直すのが正義だと思っていました。一緒に働いてきた社員に対して、不安定な職業についてくれるだけでありがたいとは思えませんでした。
しかし、学び続けるうちに、その考えが間違いだと気づきました。そもそも、業界全体に、職業に対する自信がないのが問題だということに、だんだんと気づいたのです。手ぬぐいの製造は分業制なので、担当それぞれの職業観を上げ、全体でひとつの良いものを作る必要があります。それを実現するため、社員たちと4つの自信という学びを分かち合っていくと、少しずつつくるもの、売っていくものが変わりました。
まず、全英オープンに出たプロゴルファーの使う商品をつくりました。そして、外国の方に手ぬぐいの良さをわかってもらいたいという思いから、リッツカールトンにも納品するようになりました。
すると、職人も職業に対して自信が高まってきます。自発的に、仕事がどんどんやりたくなります。つまるところ、仕事をするうえで大切なのは、魅力的な蝶々を追いかけるのではなく、蝶々が自らやってくるような魅力を開発することなのです。
私の目標は、日本のモノづくりに元気と自信を取り戻すことです。
社長が旦那でわたしが専務として管理部門の責任者をしています。夫が大嫌いでした。でも社長命令ということで2016年に学び始めました。正直、嫌でした。当時はシングルマザーの方のためにも学びました。
そして「外的コントロール」という概念を学びました。これは幼少の頃からずっと使われてきた関わり方だと理解しました。
わたしは両親から虐待を受けて育ち、小学4年の時に誘拐にもあい、いじめにもあいました。当時は近所の方から後ろ指をさされて生きてきました。
「人生を変えたい!」と思い、一週間10時間の睡眠時間で何とか大学に入りました。
しかし、高3の時、肝炎で入院をしてしまいました。当時見舞いに来てくれた人は0人でした。さらに母がギャンブルで3000万円の借金。20代はお金を死ぬ気で稼ごうと思って過ごしていました。
しかし、精神的にも肉体的にも疲弊をしていたのかガンになってしまいました。もう死のうと思いました。当時お付き合いしていた8億の借金を背負っていきていた夫からは「君は僕のオアシスだよ」と言われました。わたしはこの人のためにがんばろうと思って生きていきました。
そして子どもが生まれましたが、虐待しか受けたことがないわたしはどう育ててよいかわからず、子どもを平手打ちしてしまい、いつも泣いてました。私は心から変わりたいと思い、青木社長に名刺交換の時に「外的コントロールの習慣はなくなりますか?」と質問しました。 そしたら「是非3年は学び続けて下さい」と言われました。
そのとき学び続けると決心し、書籍をすべて読んで、当時は夫が大嫌いでしたが、セルフカウンセリングを学び、夫が望んでいる事は何かを考え、感謝の言葉がけを意識していきました。
すると、夫の行動が少しずつ変わっていきました。食べたお皿をキッチンまで持って行ってくれたり、ゴミ出しをしてくれたり、夫婦関係は改善されていきました。その変化に社員みんなが喜んでくれました。
今ではセルフカウンセリングを子どもにもおこなっています。「どうなりたいの? どんな中学性になりたいの?」と関わっていくとある日、「ママ、勉強したい、私立受けたい」と言われました。娘はセルフカウンセリングを実践するなかで友だちから色々な情報を集めて願望が明確になり合格しました
同じように社員にも実践しました。5ヵ月間、契約が0件だった社員が7ヵ月で9件になり、辞めるという社員が8億の売上を上げるまでに成長してくれました。
そして最後はどうしても気持ちの整理が出来なかった、17年連絡を取らなかったお父さんとお母さんに会いにいきました。勇気を出して、訪れたときにお母さんの第一声は「どちら様?」でした。「ひろこだよ」と言うと、母は泣き崩れて「ごめんね。」と言いました。無口な父は「やっとこれで死ねる」と言っています。
この学びは、がんこさを取ってくれたのです。たった3年半でもここまで成長できます。
1998年、当時は2億の借金がありそれを返済しているときに青木先生の学びに出会って、わたしの会社は大きく変わりました。
今では50店舗を展開しています。20年前も今も青木先生はまったく変わらず一緒のことを話しているので感動しました。自分はまだまだもっと勉強しないと、と思いました。家族のこととかいろいろと完了しないといけない。大切にしないといけないことを完了しないといけないと思いました。もっと自分を高めていかないといけないと思いました。
起業のきっかけは商社時代に中東に行き、なんで日本人はパスタなど欧米のものばかり食べてるんだろうと思い、お米をもっと食べてもらって日本をよくしようと思いました。
日本の農業を再生しようということで30歳で起業しました。そこで大変だったときに青木先生にお世話に本当になりました。これからも学び続けます。
当時勤めていた会社の社長に指示されて学び始めました。「(上辺だけの)いいこと言ってるだけやん」と思ってました。
その後も縁があり、社員研修や採用面において、会社に学びを入れていただきました。はじめこそ、「(やっぱり上辺だけの)いいこと言ってるだけやん」と思っていたのですが、やがて、知らず知らずのうちに選択理論を実践していることに気づきました。その時に、腹落ちしました。
私の最終学歴は、高校中退です。会社の採用で入ってくるのは、大卒の人ばかりなので、自分の強みは何かを考えて、マネジメントを極めました。そして社員の力を借り、お互いの強みを引き出しながら、会社を経営してきております。それでも、今年は過去最高の人数の離職があります。まだまだ今も会社の体質改善中です。
外的コントロールを使ってはいけないと思って、自分の言いたいことを言えないという状況を作っていました。
ここからさらに変化していき、今年も働きがいのある会社ランキングに入れるようにしていきます。
靴のメーカーをしています。自分は優しい経営者だと思っていました。外的コントロールを使って他人を変えるつもりなどない経営者だと思い込んでいました。
会社の壁には、「調和」「人にやさしく」「自分に厳しく」などの標語を書いて貼っていました。
ところが、そんな私は隠れ外的でした。自分では気づいていなかっただけで、実際は自分の思い通りに他人を動かそうとしていました。
倒産危機に直面したときには正しさもありました。正しさがいっぱいでした。
アルバイトの子には仕事を任せられないだろうと思い込んでいました。この会社に来たなら、未熟な社員を自分のところまでどうにかして引き上げてやろうとも思っていました。
ところが、自分という経営者が成長して、社員に頼ることをしないといけないのです。人によっては、任せてあげることが大切であるということがわかりました。その結果、部下が成長してくれることが、自分にとってもうれしいことなのだと気づきました。
自分が人の役立っていることがうれしい。それに気づいてからは、とにかく部下を信じて頼ってきました。また、社員の力を借りることのできる自分になりました。
「会社は社員の自己実現の舞台である」という言葉が腑に落ちました。学んで得たものをシェアし、会社の中で朝会ができるようにもなり、素晴らしい組織ができつつあります。
これまでしてきたのは、学びを実践し、社員を信じて、頼ることです。これからも、身近な人を信じてともに成長して、貢献し合うことを実践していきます。
家族との人間関係に悩んでいたうえ、共同経営をしていた人間に横領されて人間不信にもなっていました。
「目標達成の技術を体得することができる」と聞いて、「技術」であるならば、柔道整復師として、多くの技術を体得してきた私にもできると確信しました。そこから2年間、学び続けるうちに、経営している院の売上が高くなり、消費者金融からの借金もなくなりました。 さらに、横領をした共同経営者に対しても感謝の気持ちが芽生え、会社の権限を私が取得することで円満解決できました。 今はとても幸せです。
横領が発覚した当時は、彼に対して憎しみしかありませんでした。 しかし、選択理論とアチーブメントテクノロジーによって、「人は確かに過去の産物ではあるが、自らが選択しない限り、決して犠牲者になることはない」と学んだのです。
思い返せば、彼がいたお陰で開業できたし、大変だった開業時にも支えてもらっていました。少しずつ感謝の心を持つこともできるようになったのです。
「成功は技術」です。それを体得してからは、気が付くと他人に貢献することを考えています。
「学び続けてよかったですね」
この言葉を聞いた時に、2年間で起こった全てのことが脳裏に蘇えってきました。その場で立ちつくしながら、涙が止まりませんでした。