
青木仁志(あおき・さとし)
アチーブメント株式会社 代表取締役会長 兼 社長
アチーブメントグループ CEO
北海道函館市生まれ。若くしてプロセールスの世界で腕を磨き、トップセールス、トップマネジャーとして数々の賞を受賞。その後に能力開発トレーニング会社を経て、1987年、32歳で選択理論心理学を基礎理論としたアチーブメント株式会社を設立。会社設立以来、延べ48万名の人財育成と、7,000名を超える中小企業経営者教育に従事している。
自ら講師を務めた公開講座『頂点への道』講座スタンダードコースは28年間で毎月連続700回開催達成。現在は、経営者向け『頂点への道』講座アチーブメントテクノロジーコース特別講座を担当する。
同社は、Great Place To Work® Institute Japanが主催する「働きがいのある会社」ランキングにて8年連続ベストカンパニーに選出(2016-2023年版、従業員100-999人部門)され、また、日本経済新聞による『就職希望企業ランキング』では、社員数300名以下の中小企業にて最高位(2014年卒対象 就職希望企業ランキング第93位)を獲得。2019年4月からは一般社団法人 日本経済団体連合会に加入。2022年11月より東京商工会議所議員企業として選出され、2023年1月より東京商工会議所における教育・人材育成委員会の副委員長、中小企業委員会の委員、イノベーション・スタートアップ委員会の委員を務める。
現在では、グループ3社となるアチーブメントグループ最高経営責任者・CEOとして経営を担うとともに、 一般財団法人・社団法人など3つの関連団体を運営している。
2010年から3年間、法政大学大学院政策創造研究科客員教授として教鞭を執り、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の審査委員を7年間歴任、2023年10月より了德寺大学 教養部 客員教授、ハリウッド大学院大学ビューティービジネス研究科の客員教授としても活動をしております。
2022年、教育改革による日本再建を目指し、超党派の国会議員でつくられた「教育立国推進協議会」に民間有識者として参画、会長代行として活動している。
著書は、40万部のベストセラーとなった「一生折れない自信のつくり方」シリーズ、松下政経塾でも推薦図書となった『松下幸之助に学んだ「人が育つ会社」のつくり方』(PHP研究所)、『志の力』『経営者は人生理念づくりからはじめなさい』『心のふたを開ける』など累計67冊。 解題は、ナポレオン・ヒルの『新・完訳 成功哲学』をはじめ、計5冊。監修は、リン・ヘンダーソンの『引っこみ思案な人のためのスタンフォード式自信のつくり方』計1冊。一般社団法人日本ペンクラブ正会員・国際ペン会員としても活動。
活用事例
〜本書のメソッドを学ぶ『頂点への道』講座受講生の声〜
税理士
15年前に開業したてのときに、自己啓発が嫌いだと仰っていた社長からの紹介で受講しました。その方の本棚には毎月本が増えていくんです。青木さんの本でした。この人だけは違うんだと。 はっきり成果がでました。それは、家族関係です。開業したて半年で子どもが生まれました。ある日、少し気持ちがしんどかったんです。その日に限って、リビングに電気をつけていまし...MORE
卸売業
カニ卸問屋のせがれとして育ちました。父からは家業を継いでほしいと言われましたが、兄がいたので、わたしは自分のやりたいことをやると宣言して、一級建築士として10年働いていました。 しかし、地域が衰退して、父の会社も衰退していったので、実家に戻って入社しました。 受講をした際に、青木社長からインターネットを活用することを学んだ。カニをインタ...MORE
保険業
2011年当時、私はコンビニや保険セールスなど仕事を転々としており、お金を稼げない時期が長く続いていました。 そんな中でも妻は3人の子どもを育ててくれていましたが、お互いストレスが溜まっては、よく喧嘩をしていました。 次男が夜、布団の中で家族写真を見ながら泣いてしまうほど、家族関係は悪化していたのです。 学ぶ中で、私の人生の目的が明確にな...MORE
デザイナー
コストを下げてよいデザイナーを雇ってクオリティの高い家を提供する会社を創業しました。厳しくすることが愛だという信念を持っていたら、11人中10人が辞めました。笑えません。 おしゃれな事務所、プライド持てる仕事。寝れない夜が続き病院に行ったら自律神経失調症と言われました。その時に来たくて来たわけじゃないけど、このメソッドに出会いました。講座では...MORE
美容クリニック経営
2000年にクリニックを受付2名、スタッフ2名から日本一になることを決めて、スタートしました。当時の美容医療はとても高くて、両脇の脱毛で100万円とかしました。こんなにはっきりと効果が出て、喜ばれる治療はないと思ったのですが、高すぎて普通の人は体験できない。 松下幸之助さんの水道哲学を知って、普通の人にも届く、全国民に届ける。普通の主婦が、美...MORE
飲食店経営
1998年、当時は2億の借金がありそれを返済しているときに青木先生の学びに出会って、わたしの会社は大きく変わりました。 今では50店舗を展開しています。20年前も今も青木先生はまったく変わらず一緒のことを話しているので感動しました。自分はまだまだもっと勉強しないと、と思いました。家族のこととかいろいろと完了しないといけない。大切にしないといけ...MORE
税理士
15年前に開業したてのときに、自己啓発が嫌いだと仰っていた社長からの紹介で受講しました。その方の本棚には毎月本が増えていくんです。青木さんの本でした。この人だけは違うんだと。
はっきり成果がでました。それは、家族関係です。開業したて半年で子どもが生まれました。ある日、少し気持ちがしんどかったんです。その日に限って、リビングに電気をつけていました。いつもは暗いのにです。その時ふと思いました。自分ががんばればがんばるほど、家を守れると。奥さんを守れると。そうゆう肯定的解釈ができるようになりました。
あとは、親孝行です。顧問先も増えて順調でした。親父は有名な経営者です。凄く倹約家で、小3の頃から倹約の教育を受けてきました。親父に最後引退するときにプレゼントを買ってあげることにして、車が欲しいと言われ、兄と一緒にサプライズで用意しました。
父の大好きなみかんのかごの下に、車の鍵を忍ばせて、ガレージの車をごっそり入れ替えておきました。大感動になるかと思いきや、親父の反応は普通でした。僕たちは大号泣でした。しかし、親父は洗車全くしない人でしたが、その車だけは週に一度洗車していたことを母から聞きました。
会計事務所で10年間離職者ゼロでした。凄いことなんです。ただ、大事な幹部の結婚退職を機に、離職が始まり、20名中19名が辞めました。外的な言葉は使っておらずでしたが、わたしの態度や表情にご紹介をもらえないスタッフ、成長できていないスタッフへの不満がにじみ出ていました。だから、退職者が出ました。学んで出来ていたつもりだったのですが、じつは裏で幹部が僕の外的な言葉を再定義してくれていたのです。
幹部に支えられていたことに気づきました。
そこから、気持ちを入れ替えました。改めて理念の愛行動感謝を見つめなおしました。言葉は全く変わっていません。ただ、意味づけが変わりました。
親父がガンで、最後はモルヒネで何とか意識が朦朧としている感じでした。最後に言った言葉は「静子(奥様)と一緒になれて良かった」でした。私は感謝される人になりたいと思っていたのですが、親父は感謝されるというよりは感謝する人でした。感謝されるというのは、コントロール外にあることに気づきました。感謝することは自分のコントロール内です。ここで感謝の定義が変わりました。
わたしには娘がいます。大学で頑張っています。わたしの教育のおかげ、ではなく、妻が再定義してくれていたおかげでわたしの存在が立っていたのです。夜遅くに帰宅するわたしを、「男の人はこうゆう付き合いが大事なのよ」と娘に伝えてくれていたのです。
10年間幹部が会社でやってくれていました。家では奥さんがやってくれていました。パワーパートナーが経営者を立たせてくれているのです。パワーパートナーの2人が一緒に考えてくれているので、気が楽です。ボイスチェンジで助かっていますが、これは仕事だと顧問先に対してボイスチェンジをしてあげることが本来の我々の仕事だと思います。学んだことで解釈の質は明らかに変わりました。ただ継続することに大きな大きな価値があります。
卸売業
カニ卸問屋のせがれとして育ちました。父からは家業を継いでほしいと言われましたが、兄がいたので、わたしは自分のやりたいことをやると宣言して、一級建築士として10年働いていました。
しかし、地域が衰退して、父の会社も衰退していったので、実家に戻って入社しました。
受講をした際に、青木社長からインターネットを活用することを学んだ。カニをインターネットで注文できる仕組みをつくりました。サービス提供し始めたときに、東京のお客様から注文をいただき、真心こめて発送しました。するとお客様から喜びのご連絡をいただきました。笑顔と真心が届けられる仕事だと思い続けています。
24時間365日、どうしたら満足いくサービスが届けられるかを考えて、3年かかったが売り上げが順調に伸びていて、1年で1億円伸びるくらいになりました。そのタイミングから社員の採用も開始し始めたが、社員がなかなか定着せず、自分の経営者としての力不足を感じた。そこで紹介されたのがアチーブメントでした。
15年前です。
継続学習していく中でも順風満帆ではなく、業績悪化していき、給与が支払えない時期もあり、やむなくリストラも行ったこともあります。自分も鬱になりながらもがいていた。ただ周りからは、社長にも問題はあるかもしれないけど、やめていった社員さんたちは、社長のところで学んだことを生かしてくれているよ。という声にも支えられて、「事実は一つ解釈は無数」と考えを整理していった。
今はネットで調べて一番に出てくるので、お陰様で売上も順調に伸びてきています。そして、札幌にはじめてリアル店舗をオープンすることができました。
借金2億円まで落ちていた時もあり、一時はこのまま続けていっていいのかと真剣に悩みましたが、地元を元気にすると続けてきてよかったです。これからも学び続けていきます。
保険業
2011年当時、私はコンビニや保険セールスなど仕事を転々としており、お金を稼げない時期が長く続いていました。
そんな中でも妻は3人の子どもを育ててくれていましたが、お互いストレスが溜まっては、よく喧嘩をしていました。
次男が夜、布団の中で家族写真を見ながら泣いてしまうほど、家族関係は悪化していたのです。
学ぶ中で、私の人生の目的が明確になりました。
それは、家族を幸せにしたいということです。
妻にも謝ることができ、今では良い関係を作ることができています。
仕事でも成果が出ています。これからは地域に学びを発信して、幸せな家庭を増やしていこうと思っています。
デザイナー
コストを下げてよいデザイナーを雇ってクオリティの高い家を提供する会社を創業しました。厳しくすることが愛だという信念を持っていたら、11人中10人が辞めました。笑えません。
おしゃれな事務所、プライド持てる仕事。寝れない夜が続き病院に行ったら自律神経失調症と言われました。その時に来たくて来たわけじゃないけど、このメソッドに出会いました。講座では成果を出している人の話は直視できないぐらい悔しさとか、つらかったです。
とにかく学んでこんなに変わると思いませんでした。青木先生がトップが学び続けて上に上がらなければ下の者は上がれない。社長の器以上に会社は大きくならないと聞いて、部下のためにと思いながらできていなかったことを反省。事務所に戻り残ってくれたメンバーに謝罪と感謝を伝えました。
「不甲斐ないおれなのについてきれくれてありがとう。もう一回頑張るから、もう一回支えてください」と言いました。会社が良くなりました。あのままいってたら人を傷つけ自分も傷つける人生だった。
美容クリニック経営
2000年にクリニックを受付2名、スタッフ2名から日本一になることを決めて、スタートしました。当時の美容医療はとても高くて、両脇の脱毛で100万円とかしました。こんなにはっきりと効果が出て、喜ばれる治療はないと思ったのですが、高すぎて普通の人は体験できない。
松下幸之助さんの水道哲学を知って、普通の人にも届く、全国民に届ける。普通の主婦が、美容医療を継続的に受けられる世の中を作ろうと決めて、スタートしました。
2009年青木先生に出会いました。始めの10年は休みもなく、連休ってどういう気持ちなんだろうと。連休は、妄想の世界でした。自分が頑張るという経営スタイルでしたが、クリニックが増えていくにしたがって、自分の背中を見せられなくなってきた。
もっと人に伝える力をつけないといけないという思いで、結婚式のスピーチも話せないくらいだったんです。これを克服したいと思って、ある人に相談したら、すごく良いセミナーがある。そこから、経営の講演もできるまでになりました。
それまでも色々な研修を受けてきました。結構気合系の研修もたくさん行きました。確かにいくと、テンション上がる。でもシューっと下がっていく。
今でも続いているのは、アチーブメントだけなんです。アチーブメント、青木先生の教えを継続しているのは、原理原則にあっているから。原理原則にそぐわないことは長続きしないし、合っていることは繁栄する。
すごくシンプル。
死ぬまでにやりたいことを明確にする、そこに至るためにやるべきことをかく、そしてそれを毎日チェックする。これを手帳で管理していく。これだけなんです。毎日〇×をつけてます。
わたしは12回目の受講ですが、毎回毎回、自分が抱えている課題によって受け取るものも変わりますし、青木先生の講義もどんどん変わってきています。
継続することによって、身になっていく。座右の銘は、「継続は平凡を非凡に変える」つまんないことでも、ずっと続けられる人は最後に勝つと思うんです。
0.1%の成長を馬鹿にしていると、大きなリターンは得られない。
誰にでもできることだと思うんです。これを、1年2年足った時に、僕の周りで続いている人は本当にいないんです。
諦めない、続けるということが、本当に重要なことだと思うんです。
飲食店経営
1998年、当時は2億の借金がありそれを返済しているときに青木先生の学びに出会って、わたしの会社は大きく変わりました。
今では50店舗を展開しています。20年前も今も青木先生はまったく変わらず一緒のことを話しているので感動しました。自分はまだまだもっと勉強しないと、と思いました。家族のこととかいろいろと完了しないといけない。大切にしないといけないことを完了しないといけないと思いました。もっと自分を高めていかないといけないと思いました。
起業のきっかけは商社時代に中東に行き、なんで日本人はパスタなど欧米のものばかり食べてるんだろうと思い、お米をもっと食べてもらって日本をよくしようと思いました。
日本の農業を再生しようということで30歳で起業しました。そこで大変だったときに青木先生にお世話に本当になりました。これからも学び続けます。