格闘家の栄光と挫折 第二の人生で見出|アチーブメント株式会社

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逆転の秘訣

格闘家の栄光と挫折 第二の人生で見出した光

男性は寒空の中、シアトルの街を行く先もなく歩き続けていた。彼の名は小路晃。かつてテレビでも放送され、爆発的な格闘技ブームを巻き起こした総合格闘技イベントの『PRIDE』にて活躍し、『ミスターPRIDE』とまで呼ばれるほど日本中を熱狂に包んだ男性である。そんな彼が人生をかけてきた格闘技人生に終わりを宣告されたのであった。人生の行き先である「生きがい」を失った瞬間だった。それから後、彼は総合格闘技から引退し、地元富山でラーメン店を経営し始めた。栄光と挫折を経て、別の世界で歩み始めた第二の人生。そこでも小路氏は経営者として壁にぶつかるが、”目的”との出会いによって、大きく業績を向上させている。倒れても何度も立ち上がり続ける小路氏の「逆転の軌跡」に迫った。

小路 晃

小路 晃

株式会社A–style 代表取締役社長

1974年、富山県出生まれ。小学2年から15年間柔道に励み、全日本学生ベスト8に 進出。1996年にプロ格闘家としてデビューし、国内外の著名格闘家と対戦。総合格闘技イベント 『PRIDE』には23回出場し、『ミスターPRIDE』と呼ばれ、熱狂的な人気を誇る。2011年に総合格闘技を 引退後、『つけめんえびすこ』を開店。富山ラーメングランプリで売上1位、2013年にはJリーグスタ ジアムグルメで「大賞」を獲得するなど数多くのタイトル受賞実績を持つ。3年目には2号店『とんこつ えびすこ』をオープンし、続けて3号店も出店。真面目で温厚と周囲から評される性格から、かつての ファンが足しげく店舗に通い、店舗には芸能界・スポーツ界の著名人のサインが溢れる。元大関把瑠都 氏やソウルオリンピック金メダリストの石井慧氏の格闘技コーチとしての顔も持つ。また、プロスピー カーとして、自らの経験をもとにした講演は各地で大盛況を博し、講演依頼が絶えない。

“ミスターPRIDE”

「世界で一番強い男になりたい!と幼少期に抱いた夢を叶えるべく総合格闘技の世界に飛び込みました」。そこは他の格闘技と異なり、反則技は目つぶしと金的攻撃だけ。それ以外は〝何でもあり〞の世界。その頂点である格闘技イベントの『PRIDE』に「最強」を目指す男たちは集った。小路氏は、23歳の時に『PRIDE』に参戦。初対戦の相手は、当時、その名を聞けば誰もが震え上がるほど恐れられていた相手。しかし、無名の新人は周囲の予想を大きく覆す「ドロー」に持ち込む大健闘を果たした。その後も世界中の強豪を相手に、PRIDEでは日本人最多となる23回出場を果たした。その体格は外国人選手に比べたら、最もと言っていいほど小さい。当時のPRIDEには、階級別の試合は存在しなかったため、時には身長差40センチもあるヘビー級相手とも、全くの同じ条件で闘った。血みどろの流血戦になることは珍しくなく、強烈な攻撃に、目が覚めると病院のベッドの上だったこともあった。通算戦績は「9勝12敗2分け」。振り返れば敗北こそ多いが、それでも日本中が彼のファイトに熱狂したのは、相手が自分よりも大きくとも、ボロボロにされようとも、立ち向かっていく姿に心を打たれたからだろう。いつしか格闘技雑誌の表紙は小路氏の顔で埋め尽くされ、試合会場の東京ドームはいつも超満員。『ミスターPRIDE』『最後の日本男児』などの呼称が、彼の栄光を示していた。

一杯のラーメンから見つけた光

しかし、栄光が終わるのは突然だった。当時トレーニングの拠点をアメリカに持っていた氏は大晦日の試合に向けて準備を重ねていた。いよいよ試合が迫った頃、プロデューサーから入った一本の電話で告げられたのは「代わりの人間が見つかったからもう日本に来なくていい」という言葉。実質上の「クビ宣告」に言葉を失う。「これまで僕は総合格闘技に全てを捧げてきたんです。大学卒業時に、格闘家になるために家族の大反対も押し切って上京しました。早朝3時から働いて生活費を稼ぎ、残りの時間を練習に当て、全てを捧げてきたのです。その道が閉ざされるということは、生きる意味がなくなったと言っても過言ではなかった」。たまらずシアトルの街に飛び出した。「もう生きる必要はない、もう自分は死んでもいい」、大粒の涙を流して歩き続けた。絶望と寒さで徐々に冷えていく身体を引きずり、何時間歩いただろうか。ふと目に入ったのが、チャイナタウンでの「らーめん」と書かれた赤い提灯。「最後の晩餐」をとるかのように、吸い込まれるようにして中に入り、注文したのは一杯のラーメン。その温かいスープを口に含んだ瞬間、大きなものに包まれる。スープが、凍えていた身体を包んだ。一杯に込められた優しさが、凍えていた心に温かい火を灯した。溢れる涙とともに、夢中で食べ続けた。「人生はこれで終わりなんかじゃない。俺には故郷の日本があるじゃないか。日本に帰って、ラーメンを作ろう。このラーメンのように、人々の心を温めるラーメン屋になろう」。絶望の涙は、希望を見つけた感動の涙へと変わっていった。

『ミスターPRIDE』の栄光と格闘技人生が終わることは小路氏にとっての生きる意味の喪失だった。

『ミスターPRIDE』の栄光と格闘技人生が終わることは小路氏にとっての生きる意味の喪失だった。

あの日の感動が、揺るぎない経営理念へ

引退後、小路氏は地元富山で「つけめん えびすこ」をオープン。順調に業績は拡大したが、3年目に差し掛かると社員の離職が増加、売上も低下し始めた。そんな時、受講したのがアチーブメントの『頂点への道』。選択理論心理学との出会いに衝撃を受けた。「これまで勝つことが全てで生きてきた僕にとって、『勝ち負け』を超えた『WIN-WIN』の道があることに衝撃を受けたのです」。自分は何のために経営するのか、自分との対話を重ねた。「そして出てきたのが、経営理念でした。『一杯のラーメンで、お客様に生きる希望を提供する。一杯のラーメンで、社員の物心両面の幸福を追求する。一杯のラーメンで地域社会の発展と幸福の実現に寄与する』、僕はここに生きる、そう決めたのです」。経営理念という目的、そして選択理論を基にしたマネジメントが小路氏を変えていく。これまで圧力をかけ、思い通りに動かそうとしていた社員は、共に成功したい仲間へと変わった。その関わりが、社員の主体性を引き出していく。徐々に、快進撃が始まっていった。落ち込んだ売り上げもV字回復を果たすだけではなく、富山ラーメンフェスタでは、2日連続売上1位を獲得し、東京ラーメンショーにも2年連続で出場を果たした。現在、店舗数は3店舗まで拡大している。「僕にとって愛とは心に温かい火を灯すこと。店舗数は僕にとって愛の形なのです」

そして、『目的』に生き続ける

「つけめんえびすこ」が開店したのはPRIDEが始まったのと同じ10月11日。しかしその第二のスタートから目指すものは、かつての「自分のためだけの勝利」ではない。「顧客・社員・地域社会の全てを勝たせること」であり、それこそが、氏にとっての新たな『強さ』なのだ。丹精込めて調理するその眼差しの奥には、”あの日のラーメン”がある。あの時の感動は、「経営理念」という新たな『生きる目的』・『生きる希望』として、愛の形となって現れて

富山ラーメンフェスタでは、2日連続売上1位に輝くだけでなく、その他、多くのコンテストでタイトルを獲得する。

【写真左】富山ラーメンフェスタでは、2日連続売上1位に輝くだけでなく、その他、多くのコンテストでタイトルを獲得する。
【写真真ん中、右】濃厚豚骨魚介スープに自家製太麺が絡み合う。利益率を下げても、麺の大盛・特盛が無料なのは「たくさん食べて満足していただきたい」という愛の表れ。
する。

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