青木仁志 Satoshi Aoki×三浦雄一郎氏 Yuichiro Miura

「目標達成の喜び」特別対談

青木×三浦氏インタビュー

強烈なほど、やる気も発想も変わる

目標達成の喜びはなにものにも代え難いもの。しかし、どうやったら自分にふさわしい目標を立てることができるのか…。日々のビジネスシーンでも、お悩みの方は多いはず。今回のビジネスアイ対談は、来年80歳でのエベレスト登頂をめざす冒険家、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんと、人材教育コンサルティング会社として急成長を遂げているアチーブメント株式会社の青木仁志社長
に、「目標達成の喜び」をテーマに存分に語り合っていただいた。
(司会はビジネスアイ編集長、松尾理也)

- 今日は目標達成の喜びというテーマでいろいろお話をお聞きしたいと思います。まず三浦さん、70歳、75歳とエベレストに登頂されて、
まだ次も目指されているということですが。

わくわくするために
三浦僕の場合はスキーヤーとして、分野はアドベンチャースキーといいますかね、世界の7つの大陸の最高峰で、スキー滑降をやる。その間にエベレストでも滑って、そのフィルムがアカデミー賞を獲得する。ある程度、世界のスキーの歴史を塗り替えるような仕事を成し遂げた。そう思ったのが50代の後半だったんですね。
で、そろそろのんびりしようと思った。ある意味で燃え尽き現象に近い。あんなにしんどいことをやるのはもうたくさんということで、気がついたら65歳近くになっていた。

三浦氏

でも、そうなると何となく人生がこのまま終わるのも物足りない。さらに完全に生活習慣病が悪化していまして、狭心症、高血圧、糖尿病も、というような状態だった。
そのころ、僕の父親が99歳でモンブランを滑るという計画を立てた。山スキーをやったりトレーニングをしたり、目標ができた。また息子がオリンピックに出場を果たした。現役でやっている親父と息子を見るとね、きらきらと輝いているんです。それに比べると、僕はやることをやった、というにしても、このまま終わっていいのだろうか。やはり目標が必要だと思ったんですよ。それも強烈な。そこそこの仕事、そこそこの健康では、何かこう、わくわく、どきどきするものがない。 ということで、65歳になるころ、これから5年をかけて70歳エベレスト登頂という目標を決めたんです。

- 強烈な目標ですね。青木さんはいかがですか。

青木私は義理の母に育てられました。今は本当に義理の母に感謝していますし、少しも恨みがましいことはありませんけれども、ただ、子供のころ、いろんな体験をしたことは事実です。
中学校を出て、僕はどうしても働きたいと思った。なぜなら、生みの母にどうしても会いたかった。父親が私を説得して高校に進学したんだけれども、その思いは変わらない。それで17歳の時に函館から青函連絡船に乗って、母親に会いたいという一心で、本州にですね、北海道から見ると“出る”ことになりました

三浦北海道の人は内地という。

青木ええ、内地。最初は、思えば自信もなくお金もなく、高校中退ですから学歴もない。身体も48キロくらいで、がりがりで、何もない中から最初に選んだ仕事が八王子の鉄工所での溶接工だった。それが、私の自己概念の一番の底辺だったと思うんです。
春に家出をして鉄工所で仕事をしていましたら、夏ですね、「あんたを訪ねて誰かが来たよ」と言われて、誰かと思ったら母親でした。最後に祖父に一枚のはがきを出していたのですが、どうしても母親に会いたい、母親に会ったら連絡をするから、それまで探さないでくださいと書いていたんですよ。その消印が八王子。さらに、どうも鉄工所にいるらしいということだけ分かって、母親が八王子の鉄工所という鉄工所を歩いて、ついに探し出した。本当に驚きました。
だから、僕の人生のスタートに目標があったとしたら、母親に会いたい。たったそれだけのですね。

- それも強烈な目標ですね。